東京駅は保存復原プロジェクトにより、2012年に丸の内駅舎が創建当時の姿を取り戻しました。
国の重要文化財でもある駅舎ですが、駅として日々機能しながら観光スポットとしても国内外から人気を集めていますね。
丸の内駅舎は復原以前から『赤レンガ駅舎』とも呼ばれるように、美しい赤レンガの外壁が有名ですが、屋根のデザインも素敵なものです。
そして、この屋根には波瀾万丈のドラマがあったのです。
今回は、東京駅丸の内駅舎の屋根にまつわる歴史と物語についてご紹介していきます。
丸の内駅舎は日本の近代建築の父と呼ばれる建築家、辰野金吾の設計により1914年に竣工した鉄骨煉瓦造の建物。
辰野「堅固」とニックネームをつけられるほど、建物の安全性と丈夫さにこだわる設計者でした。
当時で最高の耐震対策を施した駅舎は大震災や戦災に耐え、90年以上現役であり続けました。
しかしながら、この間、建物への致命的なダメージは避けながらも、関東大震災では屋根の1部がくずれ、1945年の東京大空襲では3階部分と屋根のドームが焼け落ちてしまったのです。
駅舎の屋根の本来のデザインは中央に寄棟と南北にドームを配置し切妻でつなぐといったものでした。
しかし、戦後、3階部分なしで両方のドームを寄棟にするという応急的な工事をしたまま60年以上が経ったのです!
屋根にとっては悲運の時代が続きましたが、2007年、「東京駅丸の内駅舎保存復原プロジェクト」がスタート。
このプロジェクトは、最先端の技術で必要な修復や補強を施しながら、駅舎全体を創建当時の姿に復原するというものです。
文化財の修復においては、建てられた当初の材料を使用するのが原則となっているため、より手間と時間がかかる作業となります。
続く。。。
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